数十年の試行錯誤の後、ヨーロッパ単一特許制度が遂に実現する見込みです。欧州議会や関係諸国は、単一特許制度は特許取得•行使の低価格化と効率化につながり、技術革新の増加を導き、特にヨーロッパの中小企業[1]のためになるとして歓迎しています。しかし、特許権所有者を始め、弁護士、弁理士、裁判官など、特許制度を熟知している者の間では、そのような素晴らしい目標が実際に達成されるのか疑問の声が上がっています。同意された制度の下では、上記の目標の一部は達成できないのが明らかであり、その他の目標の達成は、まだ同意されていない事項が今後どのように決定されるかによります。
新制度の下では特許を今までより効率的に取得できるというのは誤りで[2]、単一特許の出願課程は欧州特許の出願課程と全く同じです。単一特許と欧州特許の違いは特許付与後にあります。現制度の下では、出願人は特許付与後にどのヨーロッパの国々で発明の保護を求めるかを決め、その各国で特許を有効化しなければなりません。単一特許制度の下では、出願人は特許付与後に署名国全24ヶ国で効力を発揮する単一特許を選択することができます。また、単一特許制度外の国々での特許の有効化を選択することもできます。EU 加盟国で、現在単一特許制度に参加しない予定の国はクロアチア、イタリア、ポーランドとスペインで、これらの国では個別の特許の有効化が必要です。ただし、クロアチアとイタリアは、後に単一特許制度に参加すると見込まれています。トルコ、スイス、ノルウェーといった EU 圏外の国々では、単一特許は無効です。これらの国での特許取得•行使の課程は今まで通りです。
単一特許が、現制度に基づく特許より経済的であるかは疑問です。全参加国で発明保護を求める場合、単一特許にかかる費用は各国で個別の特許を取得する費用より相当少なくて済むという見解は正しく、政治家の提唱する特許低価格化はこの比較に基づいています。しかし、そのような比較は特許の実情に即していません。現在、医薬と生物工学以外の分野では、特許権所有者の大多数は全参加国での発明保護を求めていません。一番多いのは、3 〜 5 ヶ国で保護を求めるケースで、欧州特許の半数以上はフランス、ドイツ、英国のみで有効化されています。そのような特許権所有者にとっては、単一特許の取得•維持は欧州特許より高くつくでしょう。
今のところ、単一特許の選択は無料になると予期されています。単一特許選択時にかかる事務管理費用は更新料で賄われる予定だからです。しかし、Londonロンドン 協定の結果、単一特許にかかる翻訳料は個別の国での有効化の際にかかる翻訳料より高くなるかもしれません[3]。Londonロンドン 協定では、多数の国が欧州特許を有効化する際の翻訳の必要性を大幅に削減したため、欧州特許有効化の翻訳費用は以前よりかなり低くなりました[4]。例えば、欧州特許を英国、フランス、あるいはドイツで有効化する場合、付加的な翻訳をする必要はなくなりました。一方、単一特許は初期の間、一ヶ国語への追加的な翻訳を必要とするので、特許を有効化する国によっては、単一特許の方が翻訳要件が多い事もあるでしょう。ただし、将来的には機械翻訳の質の向上によって、単一特許取得の際の翻訳要件はなくなると考えられています。
単一特許の更新料は未定ですが、6 〜 8ヶ国の国内特許を更新する際の料金に相当するだろうと言われており、維持にかかる費用は単一特許の方が欧州特許より高くなる見込みです。また、単一特許の場合は複数の国内特許を所有する場合と違い、特許取得後に更新料が高くなっても[5]、保護を求める国の数を減らし費用を抑えることができません。
このような費用増加の可能性は、少数の国で発明の保護を求めることの多い中小企業に一番大きく影響するでしょう。中小企業に対する減額制度を設けるべきだいう声もありますが、具体的な案はまだ出ていません。その様な特別制度なしでは、能書きに反して、中小企業が単一特許制度を利用することは少ないでしょう。
単一特許の訴訟とフォーラム•ショッピングについて
単一特許のもう一つのメリットは、特許の訴訟が複数の異なるヨーロッパの国で行われる必要はなく、一つの訴訟で済むことにあると言われています。よって新制度は経済的かつ効率的であり、中小企業のために良いとうたわれてきましたが[6]、特許制度関係者はこの主張も現実性を欠くとしています。実際に複数の国で裁判が起こされるのは商業的に有意な大きな訴訟のみです。ほとんどの訴訟、特に中小企業に関わるものは、一国の裁判所で起こされるのが常です。すなわち、新制度は、ほとんどの場合より経済的でも効率的でもありません。
欧州特許権保護の訴訟が複数の国で起こせる現在の制度は、フォーラム•ショッピング(法廷地漁り)につながる危険をはらんでいます。 複数の国内特許に保護される発明の場合、自分に最も有利で相手方に最も不利な訴訟手続を行う国で裁判を起こすことがでるからです。単一特許制度の下では様々な国での訴訟手続が統一され、国による訴訟手続の違いはなくなると言われた時期もありました。この件に関する手続規則は、2013 年 6 月 25 日に第 15 次草案が発表された段階でまだ完成していませんが、新制度の下でもフォーラム•ショッピングの危険があることは明らかです。
統一特許裁判制度の下では、特許裁判を行うことのできる法廷がヨーロッパ中に多数できます。各締約国がそれぞれ地方部を設けることができる上、1 年 に 100 件以上の訴訟を扱うドイツのような国は、複数の地方部を設けることができます。締約国がいくつか集まって、地域部を構成することも可能です。その場合、全地域部を管轄する裁判所が一つ以上設けられます。また、中央部が三つ設けられます。Munichミュンヘン 中央部は機械工学に関する訴訟、Londonロンドン 中央部は冶金学、化学、医薬品等の「生活必需品」に関する訴訟、そして Parisパリ 中央部はその他の全ての訴訟を担当します。どの裁判所で出された判決も全ての締約国で適用され、初審裁判所がどこであっても、控訴は全て Luxembourgルクセンブルグ の控訴裁判所で行われます。
特許侵害の裁判は、主張する特許侵害が行われた締約国の地方•地域部の裁判所か、被告人の一人の事業所のある締約国の地方部•地域部の裁判所で起こすことができます[7]。特許侵害の訴訟を中央部が扱うのは、被告人の居住地あるいは事業所が締約国にない場合か、または当該国に地方部がなく当該国がどの地域部にも属しない場合のみに限られます。ただし、事情によっては、特許侵害の訴訟が中央部に移される場合もあります。
特許侵害の訴訟と特許取消しの反訴の両方を地方•地域部が扱う可能性もあれば[8]、分離裁判が行われ[9]、特許侵害の裁判のみを地方•地域部が扱い、有効性を所轄中央部が扱う可能性もあります。新規の特許取消しを求める裁判や非侵害の宣言は、所轄の中央部に提起しなければなりません[10]。
つまり、特許侵害の訴訟を提起することのできる裁判所は複数、特許取消しの判決を下すことのできる裁判所は少なくとも二つ存在することになりそうです。全ての裁判所が従うべき手続規則が定められることにはなっていますが、各裁判所が個別の規則を設けることもある程度許されるので、訴訟当事者が自分に一番有利になりそうな裁判所を求めて[11]、フォーラム•ショッピングをすることは必然的です。裁判所を選ぶことのできるのは、主に特許権所有者です。なぜなら、特許権所有者は訴訟を地方•地域部で起こすことができますが、特許取消しを求める裁判や非侵害の宣言は中央部で行わなければならないからです。また、仮に非侵害の宣言が中央部で始まっていても、特許権所有者が 3 ヶ月以内に特許侵害の手続きを地方•地域部で始めた場合、中央部での非侵害の宣言は保留されます[12]。中央部での特許取消しの申請中に、特許侵害の訴訟が地方•地域部で提起された場合、当該地方•地域部が無効訴訟の移送を含めた裁判の方針を決めます[13]。
このように特許権所有者に主導権のある裁判所選択制度の下では、米国の Texasテキサス 州の東部地域で起きたように、裁判の件数を増やすために特許権所有者に有利な手続規則を設定する地方•地域部も出て来るのではないかとの、懸念の声が上がっています。しかし、そのような懸念は、地方部を一国に設けるにはその国が費用を負担しなければならないという事実によって多少和らげられます。
もう一つフォーラム•ショッピングに関連するのは言葉の問題です。地方•地域部での手続言語は一応現地のものとされていますが、他言語の採用も認められており、多くの地方•地域部が英語を手続言語として採用すると思われています。しかし、複数の選択肢があり当事者の合意がない場合[14]、手続言語は訴訟が最初に提起された時のものになるので[15]、地方•地域部での手続言語はもっぱら特許権所有者が選ぶようなものです。ただし、中央部での手続言語は特許付与時の手続言語になります。つまり、分離裁判が行われる場合、特許侵害と取消しの審理に異なる言語が使われる可能性があります[16]。控訴裁判所が、二つの裁判所の異なる言語による同じクレーム用語に関する解釈と判決をまとめるのは、安易ではないことは目に見えています。
さらに、少なくとも初期の間は、あまり特許裁判の行われない締約国では特許裁判を専門とする弁護士の数が少ない可能性が高いので、資金に恵まれた特許権所有者が特許弁護士を独占し、被告人は現地の特許裁判の経験の浅い弁護士に頼らなければならないかもしれません。
先に述べたように、地方•地域部は分離裁判を選択をすることができます。現在、分離裁判を行っている主な国はドイツのみで、ドイツの地方部は分離裁判を続けるのではないかという見方もありました。しかし、ドイツでの分離裁判はドイツ国憲法の要件を満たすためのものであり、裁判所が自主的に行っている訳ではないので、機会が与えられればドイツの裁判官が特許取消しの反訴も扱うことを選ぶことも考えられます。あるいは、分離裁判は特許権所有者に有利だという一般の見解を考慮して、裁判所は裁判の件数を増やすために分離裁判を選択するかもしれません。つまり、分離裁判に関する裁判所の方針も、フォーラム•ショッピングの要因の一つになるでしょう。
訴訟の費用について
単一特許の裁判は、現制度に基づく特許裁判より経済的であると言われています[17]。単一特許の裁判は複数の国で行われる裁判よりは確かに経済的かもしれません。しかし、既に述べましたが、複数の国での裁判は普通大きな訴訟だけです。実際には、特許訴訟は一国内で裁かれるものが大半で、統一特許裁判所での審理の方がこれより安くなるかは疑問です。 統一特許裁判所は、独立採算制で運営される予定です。裁判費用はまだ定められていませんが、大半の国家裁判所よりかなり高く設定されると予期されています。翻訳料も、分離裁判で特許侵害と取消しの審理に異なる言語が使われる場合は特に、相当の額になるかもしれません。さらに、英国の知的財産企業裁判所(元州特許裁判所)の規定するような、小規模の訴訟に対する低料金の設定の話は現在出ておらず、中小企業のニーズがどのように満たされるのか分かりません。
裁判所の質について
新しい統一特許裁判所には、大勢の裁判官が必要です。それぞれの訴訟につき、各地方•地域部は三人の裁判官(技術裁判官が任命される場合は四人)、中央部は四人の裁判官、控訴裁判所は五人の裁判官を必要とします。英国、ドイツ、オランダが各国の特許裁判官を統一特許裁判所に非常勤として提供することに合意してはいますが、経験も語学力も十分な裁判官が必要数確保できるのかは不明であり、裁判官の質が懸念されます[18]。この懸念を悪化させるのは、統一特許裁判所の裁判官は「できるだけ多くの締約国から均等に採用しなければならない」、つまり特許裁判の十分な経験を持つ裁判官の有無にかかわらず、全締約国からの裁判官を登用しなければならないというという政治的圧力の存在です。締約国の中には、裁判官の専門化を必要とも望ましいとも考えない国もあることも銘記しておきます。
欧州連合司法裁判所(CJEU)の裁判関与の可能性も懸念の一つです。CJEU は、ヨーロッパでの商標、デザイン関係の法律に基づく最終判決を下す裁判所であり、知的財産部門に長く携わってきました。しかし、CJEU のこれまでに下した判決の多くは検討下の問題に対する無理解を示しており、CJEU の知的財産問題への関与は不適切であると広く考えられています。また、CJEU の下した判決には、法律を明確にするべきところをさらに不明瞭にし、同じあるいは類似した問題を照会せねばならないものが沢山あります。これが、不確実さ、費用、遅滞の増加につながってきました。このため、CJEU が特許法に関する判決を司る可能性に対する不安は高まっており、英国首相がこれを回避するべく介入するまでに達しています。その結果、ぎりぎりの段階でCJEU 関与を回避するための修正箇条が単一特許法に付け加えられましたが、これにどれ程の効果があるのかは分かりません。特許侵害に関する法律の基となる規定は、これが CJEU の司法権外となることを期待して、EU レベルでの協定ではない単一特許協定に含まれました[19]。しかし、CJEU は EU 加盟国の結んだ WTO TRIPS 協定施行の司法権を司る準備を近年進めており[20]、CJEU が特許侵害、そして有効性の裁判まで行うことは現実にあり得ます。実際、ヨーロッパ議会議員であり単一特許準備委員会責任者の Bernardバーナード Rapkayラップケー 氏は、 CJEU が特許実体法に関する判決を下す権限を取り除こうとする試みは、CJEUがより早い段階で特許実体法に関する審理に関わる結果を招くに過ぎない[21]と述べたと伝えられています。
以上のように、少なくとも初期の間の統一特許裁判所の予見性には深刻な不安が抱かれています。
欧州特許と不参加規定について
単一特許は義務的なものではありません。新制度の下でも、今まで通り一ヶ国あるいは複数の国で欧州特許を有効化することが可能です。ただし、統一特許裁判所制度は単一特許だけでなく、欧州特許にも適用されます。最終的には、全ての関連国での欧州特許の訴訟は統一特許裁判所のみで扱われることになりますが、移行期間と不参加規定の設定により、統一特許裁判所を回避することが可能な期間がしばらく続くことになります。
協定効力発生日から 7 年間は移行期間と定められており、この期間はどの欧州特許や補充的保護証明書(SPC)の訴訟も、統一特許裁判所にも国家裁判所にも提起できます[22]。新制度の評判によっては、この移行期間にさらに最長 7 年間までの延期期間が加えられるかもしれません[23]。
すなわち、少なくとも 7 年間は、特許権所有者は統一特許裁判所でも国家裁判所でも訴訟を起こすことができます。しかし、同時に、第三者が特許取消しの訴訟を統一特許裁判所に提起することも可能です。つまり、一つの審理でヨーロッパのほとんどの地域での特許の取消しをすることが可能になります。現制度の下では、特許付与後の 9 ヶ月間の異議申立期間後は、そのような形での特許の取消しは不可能です。これを考慮に入ると、欧州特許や SPC の所有者にとっては、統一特許裁判所管轄権への不参加を選ぶのも一策でしょう[24]。特許所有者は統一特許裁判所管轄権への不参加を一旦選んでも、後にこの選択を参加に変えることができます[25] 。ただし、統一特許裁判所管轄権への不参加の選択にも、その後の参加の選択にも費用がかかります。この費用が幾らになるかはまだ決定されていませんが、初期の間はこれが統一特許裁判所の主な収入源になるため、ただの事務管理費よりかなり高額になるのではないかと心配されています。
協定効力発生前に、特許権所有者が不参加を選択することのできる「サンライズ」期間を設けるべきだという提案もあります[26]。そういった期間がなければ、特許権所有者が不参加を選択する前に、協定効力発生日に特許の取消審理が始まってしまうという事態が起きる可能性があり、一旦審査が始まってしまうと、特許権所有者は途中で不参加を選択することができないからです。しかし、「サンライズ」期間の詳細はまだ未定です。
統一特許裁判所管轄権への不参加が、移行期間中しか適用されないのか、特許 (または SPC) の有効期間中適用されるのか、まだ分かっていません。不参加は特許有効期間中適用されるという見方が強く、統一特許裁判所の手続規則準備委員会もこの件に関して同じ見解を示していますが[27]、最終的には裁判所が決定することになります。
国内特許について
単一特許導入後も、国内特許の出願を締約国各国の国内特許庁に提出することは可能なので、単一特許の代わりに複数の国内特許庁に直接特許出願することができます。ただし、フランス等は PCT国際出願の直接国内出願を認めていないので、移行期間後はフランスのような国では PCT 国際出願から生じる特許権保護は必然的に統一特許裁判所の管轄に入ります。
単一特許が実施されるのはいつですか?
単一特許実施のためには、協定がフランス、ドイツ、英国を含む 13 ヶ国の締約国に批准されなければなりません。しかし、英国では近年ヨーロッパの調和化が深刻な政治的問題となりつつあり、ドイツでは協定が憲法と矛盾するのではないかという議論が持ち上がっています。さらに、スペインが CJEU において申し立てた協定に対する法的異議がまだ解決していません。オーストリアは協定の批准を済ませていますが、アイルランドやデンマークなど、協定批准には国民投票を必要とする締約国もあります。すなわち、克服されなければならない問題はまだ幾つかあり、単一特許制度が実現しない可能性もあります。しかし、単一特許の実現は近いと考えられており、2015 年か 2016 年頃には関連法律が施行するされる見込みです。
パテント・トロールについて
皮肉なことに、単一特許制度は自らは特許を実施していない、いわゆる「パテント・トロール」にとって有利な制度になりそうです。単一特許制度は特許権所有者を優遇し、一つの特許でヨーロッパのほとんどの地域での発明保護を可能にするので、パテント・トロールにとって現制度にはない魅力があります。実際、単一特許制度の乱用を心配する声は、大手の特許出願者からも上がっています[28]。
パテント・トロールによる制度乱用の可能性とその対処の問題は[29]、欧州委員会に持ち込まれました。欧州委員会の応答は[30]、統一特許裁判所では当事者の利益を適宜に考慮できることなどを単に指摘し、パテント・トロールは十分に防げるはずであると、そういった懸念を大幅に否定するものでした。
しかし、先に述べたように、分離裁判の自由裁量は UPC の特徴であるため、UPC の各部は仮差止めなどをかなり自由に命じることができるでしょう。合衆国での近年の過剰な特許裁判を抑えるための動きなども考え合わせると、単一特許制度がパテント・トロールにとって魅力的な活動場所となる懸念は拭えません。
単一特許制度に向けた対策について
欧州特許出願中であるが単一特許を取得したい場合、現在の特許出願手続を長引かせ、特許付与が単一特許施行日後になるようにすることには検討の価値があります。
7 年から 14 年という移行期間の長さと、統一特許裁判所の管轄権への不参加の選択肢があることを考慮すると、統一特許裁判所を避けたい場合も事を急ぐ必要はありません。しかし、特許権所有者には、単一特許制度の今後の進展に引き続き注意することをお勧めします。特許権所有者は、統一特許裁判所の管轄権への不参加の仕組みと費用の決定後、不参加にかかる費用を払う方が得策か、ヨーロッパ広域での特許取消しのリスクも含めて、まだ実地で試されていない未知数の訴訟制度に依存する方が得策か、慎重に考える必要があります。
ヨーロッパ各国の特許庁で国内特許の出願をするのも一策です。統一特許裁判所管轄権への不参加は、特許の有効期間中適用されると言われていますが、まだ確証はありません。もし不参加が移行期間のみに適用され、移行期間が 7 年で終わった場合、現在出願中の欧州特許は有効期間の後半期に不可避的に統一特許裁判所の管轄に入ることになります。統一特許裁判所にまつわる様々な懸念が実際のものとなった時のための保険として、ヨーロッパの幾つかの主要国の国内特許も加えて取得しておくという手もあります。単一特許の問題とは別に、新規事項の追加や明瞭性の問題、また抗体などの技術分野に関する欧州特許庁の判断は近年増々非妥協的になってきているため、国内特許庁への関心が高まっています。ドイツや英国などでの国内特許庁への出願は、欧州特許庁への特許出願の代わり、あるいは重要な出願の場合は、欧州特許庁での特許出願が失敗した時のための予備として行われています。余分な費用がかかるので、このような対策は全ての出願者にはお勧めできませんが、予算がある場合は一策だと言えるでしょう。ただし、同じ発明に関して国内特許と欧州特許を両方取得することを現在認めない国があることに注意してください。また、少なくとも英国は、国内特許と単一特許の同時取得を防ぐ法律を制定すると考えられています。
第三者にも、法律制定の今後の進展に引き続き注意することをお勧めします。問題の多い第三者の特許は、統一特許裁判所管轄権への不参加が認められない、あるいは認められるのに時間がかかり、単一の訴訟手続で欧州連合のほとんどの地域で特許が取り消される可能性があります。
結論
単一特許制度は、可能なヨーロッパの国の全てで特許を有効化し複数の国での訴訟に対応する、製薬会社などの大手の特許出願者にしか経費削減をもたらさないでしょう。しかし、大企業が様々な不安を伴う単一特許制度を好んで使う可能性は低いと思われます。特に、企業が自社の売れ筋製品の特許が経験の浅い裁判官の判断によってヨーロッパ広域で無効化されるリスクを負うことはないでしょう。現制度より費用がかかり訴訟制度が複雑な単一特許制度は、少数の国でしか特許を持たない特許権所有者にも歓迎されないでしょう。新制度は中小企業には殊に痛手を与えることになりそうです。特許取得の費用が上がるだけでなく、外国の裁判所での訴訟に巻き込まれ、複数の手続言語の使用や経験の浅い弁護士を雇うことを余儀なくされるかもしれません。
当然のことながら、計画の単一特許制度に対する批判は、弁護士や弁理士だけでなく欧州特許裁判官、企業、学会そして政府の一角からも出ています。(その内、欧州特許裁判官の意見は利権団体のものとして、欧州議会に退けられました。)英国議会下院の欧州監視委員会は、次のように述べています。
「統一特許裁判所に関する(当時の)協定案は、総合的に欧州連合内の特許行使を促進するよりも妨げるものだという結論に達した。特に痛手を受けるのは、受益者とされている中小企業である。」
企業も不安を示しています。例えば、GlaxoSmithKlineグラクソ・スミスクライン の知的財産部門副部長の Davidデービッド Rosenbergローゼンバーグ は次のように述べています。
「(新制度は)一貫して悲惨な事態をもたらすであろう。企業は特許所有者を優遇する制度でなく、公平な制度を求めている。明らかに特許所有者優遇の制度の下、特許不実施主体(NPE)がヨーロッパレベルでの訴訟を起こせる、パテント・トロールにとっての楽園ができる。」
著名な Maxマックス Planckプランク 研究所は「単一パッケージを懸念すべき12の理由」という文書を発表しました。その前書きに、Hiltiヒルティ 教授は次のように述べています。
「提案の新制度は、特許法の進歩をもたらすように見えるかもしれないが、実際のところ、法律に必要な進歩や技術革新力の将来を脅かすものである。
ヨーロッパ各地の専門家が Maxマックス Planckプランク研究所と同じ懸念を抱いている。企業の多くも新制度の効率について疑問を抱いている。確かに大企業にとっては、計画の新制度は特許プロトフォイルの強化ができる有用なものかもしれない。その反面、中小企業の技術革新活動は特に大きな困難を経験するであろう。
私達の単一特許制度に対する批判は、一連の法的議論に基づいている。(途中省略)その批判点の多くは現在議論の対象とはなっていない。しかしながら、問題の対処は単一特許制度施行日後にしか約束されていない。
経験から言って、制度施行後の改善の約束が達成されることは稀である。法的にも技術革新の面からも有害であることが既に分かっている特許制度の実施は、深刻な事態を招くであろう。施行後ではなく、今問題に対処すべきである。」
単一特許制度導入を推進する政治家の大胆な主張に関わらず、大勢の人が新制度はヨーロッパに害をもたらすだろうと思っています。
単一特許制度についてもっと知りたい方は、EIP にご連絡ください。日本語でお問い合わせの場合は、 Chrisクリス Priceプライス か Darrenダラン Smythスミス 宛でお願いします。
[1] 例えば、欧州議会のプレスリリース(http://www.europarl.europa.eu/news/en/news-room/content/20121210IPR04506/html/Parliament-approves-EU-unitary-patent-rules)には次のように述べられています。「30 年以上の話合いの結果生まれる新制度は、欧州特許にかかる費用を最高 80% まで削減する。(途中省略)この火曜日、欧州議会は議会委託の審議会から、低価格で小規模の会社のニーズに合った特許制度設立の妥協策をとりつけた。」
[2] 例えば、2013 年 8 月 8 日のプレスリリースで、オーストリア外務省は次のように述べています。「これまでは、経費がかかり手続きが面倒なので、ヨーロッパ全域での特許を取得することを多くの人が思いとどまってきた。しかし、単一特許制度設立の合意がなされた今、事情は変わるであろう。」
[3] 2000 年 10 月 17 日に欧州特許条約(EPC)第 65 条の適用に関して結ばれた協定。
[4] London 協定は、実際のところ単一特許制度合意の初期失敗の結果結ばれたもので、この協定のもたらす翻訳要件の縮小によって単一特許制度を導入する主な理由の一つは大幅に取り除かれたと言えます。
[5] 単一特許保護導入に向けた協力の強化のために定められた EU 規則(1257/2012 番)第 12(1)(a)条により、ヨーロッパの国で有効化された大多数の特許と同様、単一特許の更新料は特許の有効期間中に増加します。
[6] 例えば、2012 年 12 月 11 のプレスリリースで、欧州議会は次のように述べています。「この新しい特許は現制度下の特許より安価で効果的に個人や企業の発明を保護する。新制度は、25 ヶ国の全締約国で自動的に特許権を保護し、特許費用を削減することで 欧州連合の企業の競争力を高める。(途中省略)(単一特許制度は)欧州連合の経済、特にヨーロッパの中小企業にとって有益である。」
[7] 統一特許裁判所協定第 33(1) 条
[8] 統一特許裁判所協定第 33(3)(a) 条
[9] 統一特許裁判所協定第 33(3)(b) 条
[10] 統一特許裁判所協定第 33(4) 条
[11] 合衆国やドイツの連邦制度のように、裁判所は全般的には類似した手続きを用いるが、詳細に関しては個別の規則を用いることができるため、訴訟人にとって有利•不利な裁判所が出て来ます。
[12] 統一特許裁判所協定第33(6) 条
[13] 統一特許裁判所協定第 33(5) 条
[14] 統一特許裁判所協定第 49(3-4) 条
[15] 2013 年 5 月 31 日付け統一特許裁判所手続規則第 15 次草案の第 14.3 規則
[16] 法廷でのデータベース登録の際の言語も考慮に入れると、一つの訴訟に 4 つから 5 つの言語が使われる可能性が想定できます。北欧地方部が設定され、裁判が北欧地方部の Stockholm 裁判所で行われると想定し、特許の言語は英語で、クレームの記述はデンマーク語の場合、デンマーク語が訴訟の手続言語になりますが、裁判所での事務言語はスウェーデン語になります。さらに、分離裁判が行われ、ドイツの中央部が有効性の裁判を行うと想定すると、この裁判の際の手続言語は英語で、事務言語はドイツ語になります。控訴時の手続言語はデンマーク語になりますが、控訴裁判所はLuxembourg にあるので、事務言語はフランス語になります。
[17] 例えば、欧州委員会のウェブサイトに掲載されているプレスリリースによると、「ヨーロッパの 25 ヶ国の加盟国で一斉に発明が保護される法的権利を一遍に取得することが可能になり、経費節約、事務の削減につながる」ということです。
[18] 現在、英国で特許訴訟を定期的に審理する裁判官は約 4 名程です。
[19] 統一特許裁判所協定第 25-29 条
[20] 訴訟番号 C-414/11、第一三共株式会社他対 DEMO Anonimos Viomikhaniki kai Emporiki Etairia Farmakon 社
[21] 2012 年 11 月 19 日付け欧州議会法務委員会議事録より。Ingve Björn Stjerna 博士著(2013 年 8 月 26 日付け)「Unitary Patent and Court System – The “Sub-Sub-Suboptimal Compromise” of the EU Parliament”」 参照。
[22] 統一特許裁判所協定第 83(1) 条
[23] 統一特許裁判所協定第 83(5) 条
[24] 統一特許裁判所協定第 83(3) 条
[25] 統一特許裁判所協定第 83(4) 条
[26] 統一特許裁判所手続規則第 15 次草案の第 5.9 規則
[27] 統一特許裁判所手続規則第 15 次草案の第 5 規則に関する但書き
[28] 例えば、Apple、Google、Samsung、Microsoft、Cisco、Intel 他による合同公開状には、新制度に対する懸念、特に分離裁判の可能性と特許差止命令に関する統一特許裁判所各部の自由裁量に対する懸念が述べられています。